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3月11日のつづき



夫から4階の配膳室にいるとメールをもらっていたので
まずは校舎の中へ入り階段を登った。
配膳室を探したが夫らしき人影はなかった。
トイレかどこかへ席を外しているのだろうと
廊下をキョロキョロしながら歩いていると
前述の助け合いの会でお世話になった方が
近所の方と飼い犬(ゴールデンレトリバー)と一緒に避難されているのを発見した。
避難所で犬はどうだろうと一瞬思ったが、癒しになる場合もあるし
もし苦情を言われたらその時考えればいいかと黙っていた。
子どものことが大好きな気性のとても優しい犬で、避難所でも全く吠えていなかったらしい。
わたしを覚えていてくれたのか、黙って腕の中に顔を突っ込んできた。
大津波が沿岸を襲ったことを知らなかったわたしは
「とにかく、今晩ひと晩がんばりましょう!」と励ました。
「一晩で済めばいいけどねぇ」
「そうかもしれないけど、とりあえず夜明けまで!」
被害がどれほどのものか、どれくらい私達の生活に影響があるかわからないが
先の見えない将来に果てない不安を覚えるよりも
まずは今日、そして明日を迎えることが今は大切だと思った。
「4階の配膳室に夫がいるはずなんですが、いなかったんでちょっと探してきます」
「あら?ここは3階よ?」
エヘヘ、エヘヘへへ(^^;

おいとまを告げて4階の配膳室へ向かった。
そこでもやはり姿が見えなかったが
○○いませんか?と声を出したら
入口の隅っこに毛布にくるまった若い夫婦が
「今はいないけど、すぐ戻ってくると言ってましたよ。」と教えてくれた。
よく見ると見覚えのあるアルミマットと毛布があったのでそこで待つことにした。
部屋には12人くらいおり、みんな黙り込んでいた。
もう夜の10時頃で横になっていた人もいるのでお互いに遠慮もあったのだろうが。
しばらくして夫が戻ってきたので、一旦車へ行くことにした。
自転車に積んできた荷物を車に移し、助手席に乗り込んだ。
自転車は余震がきたら倒れてしまうかもしれないので予め倒しておいた。
エンジンを始動し灯りをつけてエアコンをかけたら少しホッとした。
そして移動している間は全く感じなかった余震を感じた。
携帯電話を充電しながら安否確認のメールに返信をした。
実は最初の1通を宛先によってアレンジしたコピペだったのだが。
ミクシィのボイスから読み取れる情報では東京も相当揺れて
電車が止まって帰れないとうちの妹からも連絡をもらっていたので
もういつどこでまた大きな地震がきてもおかしくないと半分本気で思った。
あまり空腹は感じていなかったが、夫がコンビニで買っておいてくれたマカロニサラダと
先ほど持ってきた食べかけのパンと
少しのお茶を口に入れた。
水分はちゃんと取った方がいいと思ったが
トイレのことを考えるとやはりあまり飲む気になれなかった。
スキーウェアを着る前に車の近くで用を足した。
辺りは街灯も家の灯りもなく真っ暗で
空には冬の星座がキラキラ光って見えた。
車の中で洋服の上からスキーウェアを着たら、ちょっとキツくなってた。
飲み物と貴重品、職場から持ってきたカップラーメン等を入れたA4サイズのレスポートサックだけ持って小学校へ戻った。
自転車は近くのアパートの階段の下に倒して置いておいた。
4階配膳室では誰かがラジオをつけていて
女川が壊滅的な状況だとか、福島原発の炉心棒が露出しているとか、誰それの安否が確認出来ないとか悲痛な知らせばかりが流れていた。
廊下を挟んだ教室の窓から新港の方が燃えて空が赤くなっているのが見えるよ
と夫が言ったが、新港の方はいつも照明で明るいからと言って取り合わなかった。
実際、真夜中でもオレンジ色に光って流星群を見る時にすごく邪魔だった。
でも火事で赤く染まる景色を記憶に焼き付けたくはなかった。

夫は靴を脱ぎアルミマットの上に無理やり横になったが
わたしはブーツを脱ぐ気にはなれず、スペースもあまりなかったので
上半身を起こしたまま壁に寄りかかっていた。
疲労は感じていたがその体勢では眠れなかった。
夫とは反対側の隣にいたおばちゃんは床に直接寝ていて寒そうだったので
毛布を少し下に敷けるようにしてあげた。
わたしはなるべく光が周りに漏れないように毛布に隠しながら
携帯電話でミクシィにログインしてマイミクのつぶやきをチェックしたりしていた。
マイミクのひとりが、何か必要なものがあったら言ってくれとコメントを寄せてくれていた。
タイミングよく二人向こうのおばちゃんが
「頭痛い。枕欲しい。」ってつぶやいて
ちょっとクスッと思い、その事をレスをしようとしたけど何度が失敗してやめた。
そういえば夫も枕が欲しいと言って、鞄の中にあったカップラーメンを枕代わりに渡したのだった。
夫の体温を毛布越しにほのかに感じながら
『あ、今日のてっぱんまだ見てないな。明日の朝上書きされちゃうから見逃しちゃったな~。
いや、停電してるから上書きもされないか』とか
『相棒の最終回はちゃんと見れてよかったな~』とか
どうでもいいようなことを考えていた。

しばらくして、わたしと同世代くらいと思われる女性が
「○○いませんか?」と言って入ってきた。
果たして○○という子はまさしくここにいて
「会えてよかった~」と心底ホッとしたようだった。
聞くこともなく聞こえた話によると
鉄工所が火事になり、腰くらいまで水に浸かり
中野小学校から歩いてきた(3kmくらいかな)
ということだった。
世間話でもしているような淡々とした語り口だった。
自分はあまり怖い目にも遭わず、火事や津波なども直接見てこなかったから
あまり実感が湧かないというか、どこかマヒしたような感覚でいたが
もっと壮絶な経験をした人が海沿いには大勢いるんだろう、、と思った。

夫が、配給でもらって取っておいたおこわをその女性に渡した。

その後、わたしも無理くりくり体を横たえて
2時間程余震も感じずにがっつり寝た。
目をさますと、椅子に座ったまま体をがっくり揺らせている60代くらいのおじさんがいて
夫が自分達は車に戻ってこの場所を提供しようと言って、そうすることにした。
まだ夜は明けておらず、廊下はところどころにランタン型の電灯が置いてあり
階段の近くでは工事現場で使われるような大きな電球が光っていた。
車に戻ったのはまだ5時くらいだったと思うが
夫は義父に電話をかけ、切った後にこう言った。
「よし、秋田に帰ろう。」
アパートは無事だったし、食べ物も水もふたりだけなら2,3日分はある。切り詰めれば1週間はいけるかもしれない。
車で携帯電話も充電できるし、充電さえ出来れば〓も通話も出来る。
避難所の運営に何か役立てるのではないか、と思ったし
こ~ぷの仲間も心配だった。そして短期のアルバイトとはいえ仕事もあった。
自分達だけさっさと逃げることへの後ろめたさもあった。
でも、こういう時の夫の直感・判断には従おうと思った。
もう一度小学校に戻り、夫は配膳室へ挨拶に行きがてら綿毛布を取りに行った。
アルミマットと大判の毛布はそのまま置いてきた。
わたしは犬を連れた夫人のところへ挨拶に行ったが
先ほどの場所にはもういなかった。近くの教室も覗いてみたが見当たらなかった。
きっと犬と一緒に自宅へ戻ったのだろう。
夫と合流して2階に設けられた本部に寄り、秋田へ帰ると告げた。
本部には町内会の会長さんらしき60代前後のおじさんさん達が10名くらいいた。
「体に気を付けて、がんばって下さい」と言ってその場を去った。
帰り際、体育館の横に設置されていた仮設トイレを借りた。
仮設トイレは1つしかなかった。
夫によると男子はその辺の木の下でするようにと言われたらしい。
車に戻る頃には夜が明けはじめていた。
わたしは自転車で、夫は車でアパートへ向かった。
途中、犬の夫人の家の前も通ったが、帰宅しているかどうかは伺いしれなかった。
アパートに着くとスーパーの持ち帰り用カゴの中に下着と室内干ししていた洗濯物を2,3点入れた。
台所に10キロ分くらいの長芋があったが取り出せる状態じゃなかった。
なんとかガスの元栓を閉め、電子レンジのコードをコンセントから抜いた。
冷蔵庫からチーズや納豆、野菜室から舞茸や生姜や長ネギを取り出した。
冷凍庫には魚や肉を沢山ストックしていたが持ちきれないと判断し置いていくことにした。
(これは後から考えたら無理にでも持っていけばよかったと思いました。)
居間に生協の書類が無事にあるのが見えたがこれも下手に動かすよりはとそのままにした。
夫は外の物置から反射式の灯油ストーブを出して車に乗せていた。
1つだけ中身が入っていた灯油缶も乗せた。秋田も停電して寒いだろうと思ったので。
テレビ、DVDレコーダー、電話機、ファンヒーター、トイレの便座のコードも抜き
夫を呼んでブレーカーを下げてもらった。
もっともっと持って行けるものは持っていった方がいいんじゃないか
他に持っていかなければならないものがあるんじゃないか、と思ったが
道路が混む前に出るとなると時間もあまりなかったし、そもそも車に乗りきらなかった。
駐車場で一夜を明かしたらしき男性が車の中でタバコを吸っていたので
部屋番号と名前を言って、わたし達は秋田へ行くと告げた。
一言二言何か話した気もするが、彼は名乗りもせず、むっつりうなずいていただけのような印象を受けた。

土曜日の午前6時過ぎ。
皆どこかで息を潜めているような、不気味に静まりかえっている町を後に
わたし達は夫の生まれ故郷である秋田は由利本荘へ車を走らせたのだった。



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