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(おつとめ品でごめんなさいm(_ _)m)
今日、みやぎ生協にお買い物にいったら
「志津川湾産養殖銀さけ」が売られていましたーっっ!!
何年か前、産消直結生産品の学習会で
この銀鮭のことを色々教えてもらって
試食もさせてもらって
その美味しさに感動して
それからずっと虜だったんです。
みやぎ生協のHPに産消直結紹介ページがあります。
http://www2.miyagi.coop/sanchoku/pickup/p005/
卵から管理していて、餌も吟味されており
生でも食べられる銀鮭です。
(天然物は寄生虫などがいるので生食は出来ません。)
宮城県漁協志津川支所で生産されていて
「伊達の銀」というブランド名でも売られています。
http://www.jf-miyagi.com/shidugawa/
HPは2009年から更新されてないようですが^^;;
銀鮭養殖用の生簀は全て流されたと聞いて
ずっと気になっていたのですが・・・
復活、嬉しいなぁぁぁ!
ホントに美味しいんですよ!
知らなかったけど、5月には女川でサーモン(伊達の銀)まつりがあったみたいで。
http://www.miyagi-kankou.or.jp/wom/o-10892
ちなみに宮城県漁協による放射性物質測定は不検出です。
http://www.jf-miyagi.com/image/radioactiv/2012/12R_check_sake.pdf
宮城県漁協志津川支所の支所長さんの記事↓
河北新報ニュース記憶-あなたを忘れない
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1088/20120110_01.htm
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NHKの番組
地域ミーティング「フクシマで“農”と向き合う~福島・南相馬~」
・もみ殻はセシウムに汚染された水のセシウムを吸着し濾過する
・菜種は土壌のセシウムを吸着するが、油には放射性物質は溶けださない。
(ウクライナで実験して確かめた)
福島原発の影響のことを思うと思考停止しちゃうし
申し訳ないけど諦めてた部分もあった。
でも諦めてない人たちもいるんだ!
昨日、久々に舞茸を使った炒め物を食卓に出しました。
「これ露地物じゃないよね?」って
夫がサラッとした感じで聞いてきました。
わたしが毎回どんな気持ちで食材を買っているか。
そんなに気になるなら食うな!
てめぇが自分で買ってこい!
と、ちゃぶ台をひっくり返したい気分になったけど
グッとこらえました。
閑話休題。
南相馬のナタネ油を手に取る機会があったら買おう。
忘れないようにメモ。
地域ミーティング「フクシマで“農”と向き合う~福島・南相馬~」
・もみ殻はセシウムに汚染された水のセシウムを吸着し濾過する
・菜種は土壌のセシウムを吸着するが、油には放射性物質は溶けださない。
(ウクライナで実験して確かめた)
福島原発の影響のことを思うと思考停止しちゃうし
申し訳ないけど諦めてた部分もあった。
でも諦めてない人たちもいるんだ!
昨日、久々に舞茸を使った炒め物を食卓に出しました。
「これ露地物じゃないよね?」って
夫がサラッとした感じで聞いてきました。
わたしが毎回どんな気持ちで食材を買っているか。
そんなに気になるなら食うな!
てめぇが自分で買ってこい!
と、ちゃぶ台をひっくり返したい気分になったけど
グッとこらえました。
閑話休題。
南相馬のナタネ油を手に取る機会があったら買おう。
忘れないようにメモ。
わたしの年に数回のジョギングコース(川沿い)で
大豆を作っていたのは知っていたけど
味噌の材料にしていたとは知りませんでした。
生協の知り合いが言っていた味噌ってこのことだったのかなー?
★市政だより2011年12月号トップ > 復興の足音
http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/shisei/sis1112/fukkou.html
「岡田味噌(みそ)」の復活を目指して
東部地域の営農組織、岡田生産組合は、自身で育てた米や大豆を原料に、地場産品「岡田味噌」の生産・販売に取り組んできました。震災で田畑や味噌加工場が大きく被災し、現在は生産停止に追い込まれていますが、11月には新工場の建設に着手。「岡田味噌の復活を復興の契機に」と、意欲的に活動しています。
宮城野区岡田地区の農家で組織される岡田生産組合。集落ぐるみでの農業経営は、生産コストの低減に加え、農業者の高齢化や担い手不足を解消する先駆的な取り組みとして注目されてきました。
組合で収穫した農産物から地場産品を、との思いから、平成11年から味噌作りを開始。年間10トンの味噌を販売してきました。
ところが、震災による津波で、海岸近くにあった加工場は全壊。米も作付けできない事態に見舞われました。また、味噌作りを担当していた味噌加工班の20人全員が自宅を失うなどの被害を受け、応急仮設住宅等で暮らしています。
「そうした事情を知らない全国のファンからは、震災後も注文の問い合わせが相次ぎました」とは、組合長の遠藤源二郎さん。「その声に後押しされ、組合では今、生産再開に向けた取り組みを始めています」と力強く語ります。
新しい加工場は以前より内陸に建設が決定。また、味噌加工班全員が働ける見通しも立ちました。原料の大豆は被災を免れた農地で生産を続け、今年も収穫。米は近隣地区から融通してもらいました。加工場が稼働する来年2月から仕込みを始め、約1年後には新生・岡田味噌ができる予定です。
「新しい味噌の販売まで、かなりの空白期間があるので、不安はありますが、復活を望む地元の皆さんや全国の消費者の思いに応えるためにも一歩ずつ進んでいきたい」と遠藤さんは意気込みます。
来年は、米の作付けも再開する予定です。百パーセント岡田産の岡田味噌が、私たちの食を再び彩る日は、着実に近づいています。
★河北新報 宮城のニュース
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/01/20120105t15033.htm
仙台「岡田産みそ」復活へ 津波被災の加工場移転
東日本大震災で津波被害を受けた仙台市宮城野区岡田地区のみそ加工場が、地区内に移転し、今春の再稼働を目指している。地区の農家が運営する加工場が造る商品は、地元の大豆とコメを使った昔ながらの味が評判だった「岡田産づくり」。製造を担ってきた地元農家の女性が働ける場を再び確保し、地区の復興につなげようと関係者は意気込んでいる。
「岡田産づくり」は岡田地区のひとめぼれを使った熱処理を行わない生みそ。地区の農家で組織する「岡田生産組合」(旧岡田地区協議会)が転作作物の大豆の付加価値向上と販路拡大を目指し、2000年に加工場を建設し、生産を始めた。
酵母が生きる生みその味は評判を呼び、商品は約10年で定着。販路拡大を見据え、おととし11月には加工場を改装したものの津波に襲われた。
製造を担った加工班の女性22人のうち1人が津波の犠牲になり、残るメンバーも被災した。岡田地区の全農地約450ヘクタールも浸水。原料の確保も難しくなった。
だが、加工班の女性たちは生産再開に強い意欲を見せ、「またみそを造ってほしい」との声も寄せられたため、仙台農協(仙台市)の協力を得て、震災直後の昨年4月から加工場再建に向け動きだした。
新加工場は、組合が震災前に仙台農協から借りていた内陸に約2キロ入った地区内の土地に建て、震災前と同じ10トンの生産能力を備える。地鎮祭を先月終え、建設工事に着手した。設備費を含めた建設費約4300万円のうち半分は国の支援を受けている。
大豆は津波被害が少なかった岡田地区の農地で栽培。コメは市内の他地区から融通してもらう。早ければことし3月に仕込みに入り、秋には販売できる見込みという。
加工班だった遠藤幸子さん(58)は「加工作業は生きがい。『生きた』みそを多くの人に食べてほしい」と再稼働を待ち望む。
来年は作付けがことし再開される予定の岡田地区のコメを使い、震災前と同じ100%岡田産のみそ生産に乗り出す考え。岡田生産組合の遠藤源二郎組合長(66)は「みその復活から岡田地区の復興をアピールしたい」と意気込む。
2012年01月05日木曜日
★参考リンク
「復興は岡田西町から!」岡田西町公園仮設住宅のブログ
http://ameblo.jp/okadanishi/
大豆を作っていたのは知っていたけど
味噌の材料にしていたとは知りませんでした。
生協の知り合いが言っていた味噌ってこのことだったのかなー?
★市政だより2011年12月号トップ > 復興の足音
http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/shisei/sis1112/fukkou.html
「岡田味噌(みそ)」の復活を目指して
東部地域の営農組織、岡田生産組合は、自身で育てた米や大豆を原料に、地場産品「岡田味噌」の生産・販売に取り組んできました。震災で田畑や味噌加工場が大きく被災し、現在は生産停止に追い込まれていますが、11月には新工場の建設に着手。「岡田味噌の復活を復興の契機に」と、意欲的に活動しています。
宮城野区岡田地区の農家で組織される岡田生産組合。集落ぐるみでの農業経営は、生産コストの低減に加え、農業者の高齢化や担い手不足を解消する先駆的な取り組みとして注目されてきました。
組合で収穫した農産物から地場産品を、との思いから、平成11年から味噌作りを開始。年間10トンの味噌を販売してきました。
ところが、震災による津波で、海岸近くにあった加工場は全壊。米も作付けできない事態に見舞われました。また、味噌作りを担当していた味噌加工班の20人全員が自宅を失うなどの被害を受け、応急仮設住宅等で暮らしています。
「そうした事情を知らない全国のファンからは、震災後も注文の問い合わせが相次ぎました」とは、組合長の遠藤源二郎さん。「その声に後押しされ、組合では今、生産再開に向けた取り組みを始めています」と力強く語ります。
新しい加工場は以前より内陸に建設が決定。また、味噌加工班全員が働ける見通しも立ちました。原料の大豆は被災を免れた農地で生産を続け、今年も収穫。米は近隣地区から融通してもらいました。加工場が稼働する来年2月から仕込みを始め、約1年後には新生・岡田味噌ができる予定です。
「新しい味噌の販売まで、かなりの空白期間があるので、不安はありますが、復活を望む地元の皆さんや全国の消費者の思いに応えるためにも一歩ずつ進んでいきたい」と遠藤さんは意気込みます。
来年は、米の作付けも再開する予定です。百パーセント岡田産の岡田味噌が、私たちの食を再び彩る日は、着実に近づいています。
★河北新報 宮城のニュース
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/01/20120105t15033.htm
仙台「岡田産みそ」復活へ 津波被災の加工場移転
東日本大震災で津波被害を受けた仙台市宮城野区岡田地区のみそ加工場が、地区内に移転し、今春の再稼働を目指している。地区の農家が運営する加工場が造る商品は、地元の大豆とコメを使った昔ながらの味が評判だった「岡田産づくり」。製造を担ってきた地元農家の女性が働ける場を再び確保し、地区の復興につなげようと関係者は意気込んでいる。
「岡田産づくり」は岡田地区のひとめぼれを使った熱処理を行わない生みそ。地区の農家で組織する「岡田生産組合」(旧岡田地区協議会)が転作作物の大豆の付加価値向上と販路拡大を目指し、2000年に加工場を建設し、生産を始めた。
酵母が生きる生みその味は評判を呼び、商品は約10年で定着。販路拡大を見据え、おととし11月には加工場を改装したものの津波に襲われた。
製造を担った加工班の女性22人のうち1人が津波の犠牲になり、残るメンバーも被災した。岡田地区の全農地約450ヘクタールも浸水。原料の確保も難しくなった。
だが、加工班の女性たちは生産再開に強い意欲を見せ、「またみそを造ってほしい」との声も寄せられたため、仙台農協(仙台市)の協力を得て、震災直後の昨年4月から加工場再建に向け動きだした。
新加工場は、組合が震災前に仙台農協から借りていた内陸に約2キロ入った地区内の土地に建て、震災前と同じ10トンの生産能力を備える。地鎮祭を先月終え、建設工事に着手した。設備費を含めた建設費約4300万円のうち半分は国の支援を受けている。
大豆は津波被害が少なかった岡田地区の農地で栽培。コメは市内の他地区から融通してもらう。早ければことし3月に仕込みに入り、秋には販売できる見込みという。
加工班だった遠藤幸子さん(58)は「加工作業は生きがい。『生きた』みそを多くの人に食べてほしい」と再稼働を待ち望む。
来年は作付けがことし再開される予定の岡田地区のコメを使い、震災前と同じ100%岡田産のみそ生産に乗り出す考え。岡田生産組合の遠藤源二郎組合長(66)は「みその復活から岡田地区の復興をアピールしたい」と意気込む。
2012年01月05日木曜日
★参考リンク
「復興は岡田西町から!」岡田西町公園仮設住宅のブログ
http://ameblo.jp/okadanishi/