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知人に教えてもらった「こころのケア」系のサイトをリンクに追加しました。
・東北地方太平洋沖地震と心のケア
・兵庫県こころのケアセンター
・震災にまつわる心理学的ケア情報
(遠隔地での地震問題にかかわるストレスの対処法なども載ってました。)
で、掲題はわたしも上記のサイトを読んではじめて知ったこと。
こどもが「津波ごっこ」「地震ごっこ」をするのは
少し安心感がもどってくるとでてくる再体験なんだそうです。
大人も辛いかもしれないけど、
まずは叱らないで様子を見てあげてください、との事。
専門的な知識はないけど少しでもサポートになれればと思います。
ACのCMの「被災者の気持ちになって考えよう」の
少しでも参考になれば、と思うです。
んだば、これから買出しして仙台戻るど!
・東北地方太平洋沖地震と心のケア
・兵庫県こころのケアセンター
・震災にまつわる心理学的ケア情報
(遠隔地での地震問題にかかわるストレスの対処法なども載ってました。)
で、掲題はわたしも上記のサイトを読んではじめて知ったこと。
こどもが「津波ごっこ」「地震ごっこ」をするのは
少し安心感がもどってくるとでてくる再体験なんだそうです。
大人も辛いかもしれないけど、
まずは叱らないで様子を見てあげてください、との事。
専門的な知識はないけど少しでもサポートになれればと思います。
ACのCMの「被災者の気持ちになって考えよう」の
少しでも参考になれば、と思うです。
んだば、これから買出しして仙台戻るど!
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溜まった洗濯物を持ってまたまた秋田に帰省中です。
今回は冷蔵庫と冷凍庫の中にあった食材を持ってきたぞ!
焼きそば麺とキャベツと卵を消費するために
日が暮れる前に焼きそばとお好み焼きと卵焼を作りました。
って携帯電話から打ち込んでいる間に寝てしまいました。今起きた!
おやすみおはよウサギ!
今回は冷蔵庫と冷凍庫の中にあった食材を持ってきたぞ!
焼きそば麺とキャベツと卵を消費するために
日が暮れる前に焼きそばとお好み焼きと卵焼を作りました。
って携帯電話から打ち込んでいる間に寝てしまいました。今起きた!
おやすみおはよウサギ!
災害用伝言板にメッセージが登録されました。
無事です。
大丈夫だってばよ!
とりあえず近くの10階建てダイアパレスに避難しました。
安心してちょ。
原発が心配だわ。
みんなも無事でいてね。
奈奈&原野
↓災害用伝言板はこちら
http://dengon.docomo.ne.jp/kakunin.cgi?expsv=0&key=0bWZirLrnrJuShq
無事です。
大丈夫だってばよ!
とりあえず近くの10階建てダイアパレスに避難しました。
安心してちょ。
原発が心配だわ。
みんなも無事でいてね。
奈奈&原野
↓災害用伝言板はこちら
http://dengon.docomo.ne.jp/kakunin.cgi?expsv=0&key=0bWZirLrnrJuShq
やっと3月11日その2をアップしましたー。
覚えてる限り、かなり細かく書いたつもりです。
先日「こ~ぷ暮らしの助け合いの会」で
有償ボランティアさせていただいたお二方のお宅へ
ご挨拶に行きました。
犬の夫人はご近所の方と夜明け前に一旦家に戻り、
その後避難所で調理係になって活躍してたそうです。
多い時は鶴巻小学校も1000人くらいいたらしいですが
近所の方が冷蔵庫の中に入っていたものを持ち寄って
(とっておいてもダメになっちゃうのだけなので)
工夫して作っていたとのこと。
温かいものを作って出したいと思っても
各部屋に運んでまたさらに分けているうちに
どうしても冷めてしまうのが残念だったとおっしゃっていました。
200人くらいに減った時くらいから吉野家が炊き出しにきてくれて
牛丼かカレーライスかを選べて、かなりの行列にはなったけど
渡す時にはアツアツなのが良かったとか。
もうひとかたは80代の夫婦の方で
ちょうどヘルパーさんがきてるときに地震に遭い、
鶴巻小学校へ一緒にいったけど満員で入れなくて
近くの幼稚園へ避難したんだそうです。
11日の夜、幼稚園の園庭の真中に通園バスがあって
ライトをつけて周りを照らしていたので
そのどこかにいたのかなぁと思いました。
七北田川から少しだけ水が溢れてきたけど
床上までにはならなかったとのことで本当によかったです。
道路が泥だらけになっていたのは液状化じゃなかったんですね・・・。
この方も翌日には自宅に戻られたそうです。
それから、職場から一緒に歩いて帰った2人のうちの新田の方は
福田町でわたしをおろしたあと多賀城の人を送っていったのですが
帰って来れなくなって、旦那さんにしこたま怒られたそうです><
そうだよね・・・。本当にごめんなさい、ありがとうございましたm(_ _)m
多賀城の人の方は結局3月いっぱいまで職場復帰されなかったので
その後どうされたかはわかりません。。。
帰り道の途中の話では家も家族も無事だと言っていたので
多賀城から通いきれないだけだと思いたいです。
【その後のその後 4/12】
と、書いたとことで震度6弱の余震がきて一旦避難して、
家に戻ってアップしようとしたら停電しました。
4月7日23時36分時点で下書きが一時保存されていたので
そのままアップしちゃいます。
覚えてる限り、かなり細かく書いたつもりです。
先日「こ~ぷ暮らしの助け合いの会」で
有償ボランティアさせていただいたお二方のお宅へ
ご挨拶に行きました。
犬の夫人はご近所の方と夜明け前に一旦家に戻り、
その後避難所で調理係になって活躍してたそうです。
多い時は鶴巻小学校も1000人くらいいたらしいですが
近所の方が冷蔵庫の中に入っていたものを持ち寄って
(とっておいてもダメになっちゃうのだけなので)
工夫して作っていたとのこと。
温かいものを作って出したいと思っても
各部屋に運んでまたさらに分けているうちに
どうしても冷めてしまうのが残念だったとおっしゃっていました。
200人くらいに減った時くらいから吉野家が炊き出しにきてくれて
牛丼かカレーライスかを選べて、かなりの行列にはなったけど
渡す時にはアツアツなのが良かったとか。
もうひとかたは80代の夫婦の方で
ちょうどヘルパーさんがきてるときに地震に遭い、
鶴巻小学校へ一緒にいったけど満員で入れなくて
近くの幼稚園へ避難したんだそうです。
11日の夜、幼稚園の園庭の真中に通園バスがあって
ライトをつけて周りを照らしていたので
そのどこかにいたのかなぁと思いました。
七北田川から少しだけ水が溢れてきたけど
床上までにはならなかったとのことで本当によかったです。
道路が泥だらけになっていたのは液状化じゃなかったんですね・・・。
この方も翌日には自宅に戻られたそうです。
それから、職場から一緒に歩いて帰った2人のうちの新田の方は
福田町でわたしをおろしたあと多賀城の人を送っていったのですが
帰って来れなくなって、旦那さんにしこたま怒られたそうです><
そうだよね・・・。本当にごめんなさい、ありがとうございましたm(_ _)m
多賀城の人の方は結局3月いっぱいまで職場復帰されなかったので
その後どうされたかはわかりません。。。
帰り道の途中の話では家も家族も無事だと言っていたので
多賀城から通いきれないだけだと思いたいです。
【その後のその後 4/12】
と、書いたとことで震度6弱の余震がきて一旦避難して、
家に戻ってアップしようとしたら停電しました。
4月7日23時36分時点で下書きが一時保存されていたので
そのままアップしちゃいます。
*3月11日のつづき
夫から4階の配膳室にいるとメールをもらっていたので
まずは校舎の中へ入り階段を登った。
配膳室を探したが夫らしき人影はなかった。
トイレかどこかへ席を外しているのだろうと
廊下をキョロキョロしながら歩いていると
前述の助け合いの会でお世話になった方が
近所の方と飼い犬(ゴールデンレトリバー)と一緒に避難されているのを発見した。
避難所で犬はどうだろうと一瞬思ったが、癒しになる場合もあるし
もし苦情を言われたらその時考えればいいかと黙っていた。
子どものことが大好きな気性のとても優しい犬で、避難所でも全く吠えていなかったらしい。
わたしを覚えていてくれたのか、黙って腕の中に顔を突っ込んできた。
大津波が沿岸を襲ったことを知らなかったわたしは
「とにかく、今晩ひと晩がんばりましょう!」と励ました。
「一晩で済めばいいけどねぇ」
「そうかもしれないけど、とりあえず夜明けまで!」
被害がどれほどのものか、どれくらい私達の生活に影響があるかわからないが
先の見えない将来に果てない不安を覚えるよりも
まずは今日、そして明日を迎えることが今は大切だと思った。
「4階の配膳室に夫がいるはずなんですが、いなかったんでちょっと探してきます」
「あら?ここは3階よ?」
エヘヘ、エヘヘへへ(^^;
夫から4階の配膳室にいるとメールをもらっていたので
まずは校舎の中へ入り階段を登った。
配膳室を探したが夫らしき人影はなかった。
トイレかどこかへ席を外しているのだろうと
廊下をキョロキョロしながら歩いていると
前述の助け合いの会でお世話になった方が
近所の方と飼い犬(ゴールデンレトリバー)と一緒に避難されているのを発見した。
避難所で犬はどうだろうと一瞬思ったが、癒しになる場合もあるし
もし苦情を言われたらその時考えればいいかと黙っていた。
子どものことが大好きな気性のとても優しい犬で、避難所でも全く吠えていなかったらしい。
わたしを覚えていてくれたのか、黙って腕の中に顔を突っ込んできた。
大津波が沿岸を襲ったことを知らなかったわたしは
「とにかく、今晩ひと晩がんばりましょう!」と励ました。
「一晩で済めばいいけどねぇ」
「そうかもしれないけど、とりあえず夜明けまで!」
被害がどれほどのものか、どれくらい私達の生活に影響があるかわからないが
先の見えない将来に果てない不安を覚えるよりも
まずは今日、そして明日を迎えることが今は大切だと思った。
「4階の配膳室に夫がいるはずなんですが、いなかったんでちょっと探してきます」
「あら?ここは3階よ?」
エヘヘ、エヘヘへへ(^^;