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またまた【毎日.jp】より転載。
もう知ってる方も多いかもしれませんが。
週末にボランティアに来る人も
万が一大きい余震が来た時は「津波てんでんこ」の覚悟でお願いします。
あ、でも一応うちは津波の警戒区域にはギリギリ入ってませんので
まずは落ち付いて行動して下さいませませね。
【東日本大震災:津波の時は「てんでんこ」】
http://mainichi.jp/photo/news/20110405mog00m040018000c.html
映像ディレクターのタカギ・タイキチロウさん
東日本大震災で大津波に襲われた東北の太平洋沿岸は、明治と昭和の三陸地震、チリ地震と、繰り返し津波の被害に遭っている。防災ビデオ「津波襲来 その一瞬が生死を分ける」(東映)の制作に携わり、2007年に三陸沿岸を歩いた映像ディレクターのタカギ・タイキチロウさんに聞いた。【岡礼子】
3月11日、東京にいたタカギさんは地震の後、「津波が来る。そう思って緊張してハラハラしていた」。これまでも、大津波警報が出ると、サーフィン好きの知人に「今日は行くなよ」と伝え、「警報が出ても津波って来ないよね」と言われると「今度は来るよ」と返したりしていた。津波は「普通の波が大きくなったものではなく、高さ数メートルの巨大な水の塊が押し寄せてくるイメージ。名前を変えた方がいいと思うくらいだ」と力説する。
タカギさんが撮影のため津波研究家の山下文男さんと一緒に三陸を訪れたのは4年前の3月下旬。約28万人の死者・行方不明者を出したスマトラ沖地震の大津波(04年)、ジャワ島沖地震の津波(06年)の後のことで、津波の怖さを伝える映像を使いたかったが、「日本の津波の映像がなかった。それで山下さんに話を聞きながら、過去に大きな被害があった三陸沿岸を撮ろうと考えた」と振り返る。
歩いたのは、岩手県大船渡市の綾里、釜石市、宮城県宮古市の姉吉、気仙沼市など。いずれも、これまでの津波で大きな被害を受けた地域で、今回の東北大震災でも大津波が押し寄せた場所だ。
その際、山下さんは「津波てんでんこ」という言葉を教えてくれた。「『てんでんこ』は、てんで(ばらばら)にという意味。投げやりな意味ではなく、一人ひとり自分の身を守ることに徹しようということです。誰かを助けようとしたり、一緒に逃げようと思うと共倒れになるからです」。山下さんは大船渡市の出身で、明治の大津波(1896年)で、一族9人が亡くなり、自身も昭和の三陸地震津波(1933年)、チリ地震津波(60年)、そして今回の津波を生き抜いた。
今回も大きな被害があった三陸地方だが、タカギさんは取材した当時、「津波の教訓が風化している地域がある」と感じた。「若い人に聞いてみても、『てんでんこ』の意味を知らない。過去に被害が大きかった地区でも、避難率がそんなに高くない所があった」からだ。
一方で、綾里や姉吉には、明治の三陸大津波の到達地点より高いところに家を建てて暮らしている集落があった。タカギさんによると、到達地点は、波自体の高さではなく、海岸から内陸のどこまで海水が駆け上がったかを基準にしており、姉吉では「此処(ここ)より下に家を建てるな」と刻んだ石碑を建て、教訓を伝えてきた。それらの集落が今回、津波の襲撃を免れたと報道で知り、「三陸大津波を経験した世代の教訓が生きていた」(タカギさん)と実感した。
「遠くを目指すより、近くの高いところへ逃げる」ことを、一人でも多くの人に知ってほしいという。「昭和の大津波の時、普通ではとても登れないような険しいやぶを必死に登って助かった家族がいたと聞いた。津波から逃げるのに、海岸から遠くに離れようと思いがちだが、それでは間に合わない」と話す。自身も海岸に行った時には、今津波が来たらと考えて、高い場所を探すという。
50年、100年に1度の津波を、子々孫々まで警戒し続けることは難しい。タカギさんは、ビデオを監修した片田敏孝・群馬大教授の「津波警報が出て、避難したのに津波が来なかったということが何回あっても、『今回は、はずれて良かったね』と思えることが津波防災の本質だ」という言葉が印象に残っている。津波防災の必要性を伝えるために、「今回は報道だけでなく、一般の人が撮影した映像も動画共有サイトなどにたくさんある。これまでと決定的に違う点だ。映像を残しておけば、時間がたっても伝わる」とタカギさんは話した。
「忘れかけたころにドカーンとまたやられて大災害になる。そういう歴史を繰り返しているのが津波なんです」。ビデオの中の山下さんの言葉が重く響く。
もう知ってる方も多いかもしれませんが。
週末にボランティアに来る人も
万が一大きい余震が来た時は「津波てんでんこ」の覚悟でお願いします。
あ、でも一応うちは津波の警戒区域にはギリギリ入ってませんので
まずは落ち付いて行動して下さいませませね。
【東日本大震災:津波の時は「てんでんこ」】
http://mainichi.jp/photo/news/20110405mog00m040018000c.html
映像ディレクターのタカギ・タイキチロウさん
東日本大震災で大津波に襲われた東北の太平洋沿岸は、明治と昭和の三陸地震、チリ地震と、繰り返し津波の被害に遭っている。防災ビデオ「津波襲来 その一瞬が生死を分ける」(東映)の制作に携わり、2007年に三陸沿岸を歩いた映像ディレクターのタカギ・タイキチロウさんに聞いた。【岡礼子】
3月11日、東京にいたタカギさんは地震の後、「津波が来る。そう思って緊張してハラハラしていた」。これまでも、大津波警報が出ると、サーフィン好きの知人に「今日は行くなよ」と伝え、「警報が出ても津波って来ないよね」と言われると「今度は来るよ」と返したりしていた。津波は「普通の波が大きくなったものではなく、高さ数メートルの巨大な水の塊が押し寄せてくるイメージ。名前を変えた方がいいと思うくらいだ」と力説する。
タカギさんが撮影のため津波研究家の山下文男さんと一緒に三陸を訪れたのは4年前の3月下旬。約28万人の死者・行方不明者を出したスマトラ沖地震の大津波(04年)、ジャワ島沖地震の津波(06年)の後のことで、津波の怖さを伝える映像を使いたかったが、「日本の津波の映像がなかった。それで山下さんに話を聞きながら、過去に大きな被害があった三陸沿岸を撮ろうと考えた」と振り返る。
歩いたのは、岩手県大船渡市の綾里、釜石市、宮城県宮古市の姉吉、気仙沼市など。いずれも、これまでの津波で大きな被害を受けた地域で、今回の東北大震災でも大津波が押し寄せた場所だ。
その際、山下さんは「津波てんでんこ」という言葉を教えてくれた。「『てんでんこ』は、てんで(ばらばら)にという意味。投げやりな意味ではなく、一人ひとり自分の身を守ることに徹しようということです。誰かを助けようとしたり、一緒に逃げようと思うと共倒れになるからです」。山下さんは大船渡市の出身で、明治の大津波(1896年)で、一族9人が亡くなり、自身も昭和の三陸地震津波(1933年)、チリ地震津波(60年)、そして今回の津波を生き抜いた。
今回も大きな被害があった三陸地方だが、タカギさんは取材した当時、「津波の教訓が風化している地域がある」と感じた。「若い人に聞いてみても、『てんでんこ』の意味を知らない。過去に被害が大きかった地区でも、避難率がそんなに高くない所があった」からだ。
一方で、綾里や姉吉には、明治の三陸大津波の到達地点より高いところに家を建てて暮らしている集落があった。タカギさんによると、到達地点は、波自体の高さではなく、海岸から内陸のどこまで海水が駆け上がったかを基準にしており、姉吉では「此処(ここ)より下に家を建てるな」と刻んだ石碑を建て、教訓を伝えてきた。それらの集落が今回、津波の襲撃を免れたと報道で知り、「三陸大津波を経験した世代の教訓が生きていた」(タカギさん)と実感した。
「遠くを目指すより、近くの高いところへ逃げる」ことを、一人でも多くの人に知ってほしいという。「昭和の大津波の時、普通ではとても登れないような険しいやぶを必死に登って助かった家族がいたと聞いた。津波から逃げるのに、海岸から遠くに離れようと思いがちだが、それでは間に合わない」と話す。自身も海岸に行った時には、今津波が来たらと考えて、高い場所を探すという。
50年、100年に1度の津波を、子々孫々まで警戒し続けることは難しい。タカギさんは、ビデオを監修した片田敏孝・群馬大教授の「津波警報が出て、避難したのに津波が来なかったということが何回あっても、『今回は、はずれて良かったね』と思えることが津波防災の本質だ」という言葉が印象に残っている。津波防災の必要性を伝えるために、「今回は報道だけでなく、一般の人が撮影した映像も動画共有サイトなどにたくさんある。これまでと決定的に違う点だ。映像を残しておけば、時間がたっても伝わる」とタカギさんは話した。
「忘れかけたころにドカーンとまたやられて大災害になる。そういう歴史を繰り返しているのが津波なんです」。ビデオの中の山下さんの言葉が重く響く。
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